流産を繰り返す可能性がある私が出産に至るまで~稽留流産からアスピリンを飲み続ける体験談~

稽留流産の確定、辛い手術が嵐のように過ぎ仕事に打ち込む日々。SNSやメディアでは子供関連の情報が流れ全て拒絶するようになりました。先生からは「生理がきてから3か月は避妊をして様子を見てください」と言われ再び悶々とする日々が始まりました。「もし奇跡的に妊娠することができてもまた同じことになったらどうしよう・・・」不安が募り落ち込む毎日でしたが基礎体温はしっかり図り夫と共有し手術から5か月後の3月にもう一度授かることができました。

話は変わりますが、結婚してすぐ私は謎の高熱と嘔吐により1週間入院していたことがありました。その時は急な環境の変化による疲れが溜まったのかなと自分では思っていました。入院の際、髄膜炎の可能性があると言われ検査をしましたが異状は無く、先生も症状が落ち着けば退院していいよと言ってくださいました。ただ、感染症や免疫疾患専門の先生がいるから通院してねと言われそこから通うようになりました。その時は何で私が?と思いましたが検査をするうちに「抗リン脂質抗体」という抗体の数値が人と違うことが分かり、3回の血液検査が全て異常ありだったため「もしかしたら流産しやすいのかもね」と言われ、今回の妊娠を機に内科感染症の先生から産婦人科の先生に繋いでいただき「低用量バイアスピリン」という薬を12週過ぎた頃から服用することになりました。本来であれば流産を繰り返した上で検査をしそこからの服用になる説明だったのですが私の場合は別の方向からの検査結果でこのような形になりました。

バイアスピリンは28週まで服用しました。前回の流産があったため私は全ての事に慎重になりました。重いものを持つこと・走ること・食べ物・飲み物・・・妊婦検診は不安でしかありませんでした。とにかく動いていて下さい・・そう願うばかりでした。徐々に胎動が感じられるようになってからは「今日も元気だな、ありがとう」と余裕を持っていられることが増えたように思えます。そして薬は忘れずに服用しました。飲むことによって赤ちゃんが元気にいてくれるような錯覚を起こし私の中の安定剤だったと言っても過言ではありませんでした。

28週からは本当に長かったように思えます。お腹が大きくなると歩くのも家事をするのも何をするのにも息切れし休憩を挟まないと辛くなりました。ただ、私は辛いという感情よりも幸せという気持ちが最大限にありました。ここまで元気に育ってくれたのだからママが頑張らないと!という思いで残りの妊婦生活を過ごしました。そしてついに40週で無事に出産することができました。コロナ禍だったこともあり長い入院生活の中普通分娩で出産でした。出産は本当に大変でした(別の記事で報告しますね♡)

「ありがとう」やはり最後はこの言葉に尽きます。バイアスピリンを飲み始めて飲み終わるまで気持ちはずっと不安・心配が続きました。今回の妊娠は娘の生命力の強さが一番だったんじゃないかなと思います。前回の流産発覚記事にも書きましたが、忘れ物を取りにお空に戻った娘ですが無事に私たちのもとに帰って来てくれたことに本当に感謝します。少し成長したら娘に来てみようかなと思います。「お母さんのお腹の中はどうだった?」と。

タイトルとURLをコピーしました