なぜ人は本を書き書店に置きたがるのか考えたことはあるだろうか。広い書店にさまざまなジャンルの本。小説、エッセイ、絵本、雑誌・・・何万冊ともいえる本たち。歩いて、選んで、その中の一冊を手にして購入する。なんて運命的な出会いなんだろう。もしかしたらその中の一冊が手に取った人の価値観、人生までをも変えてしまう可能性だってあるんだから。私、わたげもその一人。書店が大好き人間である。歩いているだけで眺めているだけでいい。空気感・静けさ、匂い。落ち着く限りである。しかし私は気づいてしまった。無数にある書物の中の不可解な謎を・・
あんなに居心地が良かった書店。ある時から吐き気がするようになった。なぜ?私は考えた。無数の文字に酔ってしまったのか?それとも匂いが不快になってしまったのか?寝る前もずっと考えていた。ある時答えがうっすら見えてきた。そうか、「作者名」だ。本のタイトルの横や下には必ず作者名が書かれている。当たり前だ。書いた人の名前が無くてはこの本は迷子になってしまう。そして何より「へ~こんな人が書いたんだぁ」と思えなくなってしまうではないか。しかし私には別の感情が湧いていた。「本の内容が良ければ作者名はいらなくないか?」と。作者名が書いてあるだけでこの本は面白い・この本はつまらないという風に偏見を持ってしまうのではないかと思った。わかっている、この考えの方がよっぽど偏見である。ただどうしても不可解である意味不快な気持ちになった。
その時から。私にとって本は欲望の塊だと感じるようになった。作者の作品に対する熱い思いの他に自分の努力の成果を見せつけたい、認めてもらいたい。と。いいやそんな可愛いものではない。自分が生きている証を。家族が忘れたとしても家族以外の誰かに永遠に、頭の片隅に置いておいてもらいたいというそんな大きな欲望を。押しつけがましく、堂々と。当たり前だ。ここに並ばれている者たちは選ばれしものなのだから。本屋という舞台に立つことができた者たちなのだから。
なぜ人は書店に本をおきたがるのか。それは欲望を抑えられなかったから。そして選ばれし者たちだったから。それに尽きる。なんせ本はとても素敵だ。価値観までをも変えてしまう、そんな力を持っている。