流産について深く知る、大丈夫あなたは一人じゃない~稽留流産体験談~

初めて自分の身体に生命が宿った時。不思議な気持ちと嬉しい気持ち。大半の方はそう思われるのではないでしょうか。そこから辛い悪阻、お腹が重くなってくることから負担がさらにかかり臨月へと進みます。まだかなと待ちわびる出産。生命の誕生。なんとも神秘的で奇跡的なものなのでしょうか。今たった数行の文章でまとめましたが約10か月にも及ぶ妊娠生活はこんなものじゃ言い表せないくらい素晴らしく、そして「無事に生まれる」それだけでただただ凄いことなのです。そんな中私一度目の妊娠の時稽留流産を経験しました。今回はそのことについて私なりに言葉にしていこうと思いますので、ぜひ読んでいただけると嬉しいです。

妊娠までの道のり

結婚し子供がすぐにでも欲しかった私は夫に相談しました。結婚式も控えてるしそれまでは避妊しましょう、ということでそこから半年近く避妊を続ける生活でした。しかし私は悶々としていました。なぜなら妊娠は簡単にできるものではないと思っていたからです。結婚当時25歳だった私は妊娠について自分で調べまくっていました。若いからといってすぐに妊娠できるものでもないし、出産に至るまで無事に進むかも分からない。調べるほどに不安感が増し、知らず知らずのうちに夫には急かしていたのかもしれません。結婚式が終わり4か月後にはなんとか妊娠することができました。この妊娠も毎日基礎体温を測り排卵日をチェックししたもので言ってしまえば計画的なものだったのかもしれません。

妊娠から流産確定まで

妊娠直後とても嬉しくて両親、義両親に報告しました。また、職場の上司、仲の良い同僚にも伝え仕事量を調整していただきました。コロナウイルス真っ只中、初のワクチン接種が迫っていたため、赤ちゃんに影響があると思いキャンセルし少し悪阻がでてきたかなぁと思う9週目にて稽留流産が確定しました。その日は母子手帳が交付される日で午前中に検診でした。朝早くから洗濯を回し「少し重いかな?」という量を1階から2階へ運び干しました。そこから産婦人科へ行き待合室で待っていた時、やけに椅子がヒヤッとしておしりが冷たくなり「赤ちゃん大丈夫かな?」と胸騒ぎがしたのを覚えています。半面、早く会いたいなという気持ちもありワクワクしていました。名前が呼ばれ、台に上がり、先生が一言「ん?動いてないな」固まる私。動いていない?とは???カーテンがガラーと開けられ「これ見て」と。そこにはジッとしている我が子のエコー画像。この間は手足がニョキニョキ動いていたのに今はピタっと止まっている。「心臓が動いていないね。流産かもしれないね。」おそらく先生は何か他にも話しかけたかもしれないですが私の頭の中は既に真っ白になり寒気がして記憶がなくなりました。気づいたら泣いていて、助産師さんと一緒に別室に移動しました。

流産から手術

そこからはあっという間でした。私の場合、稽留流産という流産で赤ちゃんが子宮の中にいる状態なので器具を入れ取り出すという手術が必要でした。「この日とこの日分娩台が空いているけどいつにする?」と先生に聞かれ、とっさに一番遅い日付けにしました。仕事の調整と私自身の心の整理が必要だったからです。休日を挟んでの手術が決定しました。その間、夫と二人で赤ちゃんありがとうの旅に出掛けました。少し遠出してオルゴール館へ。私たちのところにきてくれた赤ちゃんのためのオルゴールを買いました。一青窈さんのハナミズキの曲が入ったオルゴールです。私の大切な曲になりました。そして手術当日。子宮を広げるため手術の2時間前くらいにラミナリアという綿棒みたいなものを子宮の入口にいれます。それが本当に苦痛で、たったの数本だったのに入れ終わるころには過呼吸になってしまいました。涙が勝手に出てきて吐き気もしました。急いで助産師さんが来てくださり別室に車椅子で移動しなければならないほど頭が真っ白でした。おそらく陣痛室だったと思うのですがそこで待たされ、いよいよ手術へ。分娩台に上がり足を広げ、手を握ってもらい淡々と進められていきました。痛くないのに涙が出てきて、麻酔が完全に入るまで震えが止まりませんでした。「本当だったら。この赤ちゃんは喜ばれて生まれてくるはずだったのに。こんなに悲しいことはない・・・」そう考えながら麻酔により意識が薄らいでいきました。目が覚めるころには先生が何か書き物をしていて「よく頑張りました」そう言ってくれました。そのあとすぐ夫が迎えに来てくれ自宅に帰りました。出血が続くためそこから4日間会社を休みました。

精神状態

そこから娘を出産するまでの間、精神状態は良くなかった気がします。子供関連のテレビ、本、施設、友人の妊娠報告、写真の投稿・・・全部が辛くなってしまい夫は私に対しかなり気を遣っていたと思います。私はSNSを全て辞め仕事に没頭しました。何か没頭できるものがあると少なからず気持ちも楽になりました。ですが排卵日近くなると焦り始め「この機を逃すとまた赤ちゃんが遠ざかってしまう、でももし次もまた流産になってしまったら?」怖くなり泣いていたのを覚えています。

感謝の気持ち

流産体験談の記事を読むと「流産した赤ちゃんは忘れ物を取りに一度戻っただけでまた帰ってきてくれる」という言葉を目にします。本当にその通りだと思います。当時はそう思うと心が軽くなるような気がしました。だから娘が生まれた時は感謝しかありませんでした。忘れ物を持って道に迷わず私のところに帰って来てくれたんですから。だから、流産で悩んでいる方がいたらきっと大丈夫。帰ってきてくれます。待っていてあげましょう。娘を出産するまで流産しないように薬を飲み続けながらの日々でした。(それはまた違う記事でかきますね。)妊娠出産は本当に奇跡。だからこそ感謝の気持ちを忘れずにいよう改めて決心しました

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